2005年10月16日

和敬塾シンポジウム

東寮生の吉田さんから以下の寄稿を戴きましたので、転載致します。
吉田さんありがとうございました。

10月15、16日(土、日)の二日間に渡って、和敬塾シンポジウムが開催されました。
このイベントは今年5月14日の春季シンポジウムに引き続き、講師にオギュスタン・ベルク先生、荒木亨先生、犬塚潤一郎先生をお招きして行われました。
15日には、塾生・塾友を中心とした六名のパネラーにより「言語」をテーマにした古典テキスト研究が発表され、講師の先生方も交えて、参加者全員で白熱した討論が行われました。討論の後には夕食会が催され、おのおの論戦を終えて談笑を交わし合いました。


16日には、ベルグ先生・荒木先生により「言語と文化の翻訳可能性をめぐって」という演題で講演がなされました。講演の内容は言語学や地理学、文学のほか、哲学をも包括する非常に高度なものでしたが、前日に行われたシンポジウムの成果もあってか、参加者側から鋭い質問や興味深い意見もしばしば提起されました。
シンポジウムは知的な緊張感のなかにもユーモアが交えられ、講師の先生方も気さくにお話ししてくださったので、終始どことなくリラックスした雰囲気のもと行われました。
シンポシウムや講演会というと、敷居が高いように感じられる方も多いかと思いますが、自分の視野を広げたいと思われる方は、必ず新たな発見があるはずですので、いずれ機会があれば参加されるのもよいかと思います。

和敬塾シンポジウムに参加したのは今回が初めてでしたので、15日の基礎研究シンポジウムでは、はじめは数行の文章について様々な意見が飛び交い、「つい先ほど理解したはずのことが、また分からなくなる」という状態に困惑してしまいました。ですが、議論が深まるうちに、疑問が疑問を呼ぶ展開が楽しみになり、拙いながら自分の意見を述べることもできました。

16日の講演では、地理学(ベルク先生)、言語学(荒木先生)という二つの立場から「言語と文化の翻訳可能性」について興味深いお話をお聞かせいただきました。そのなかでベルク先生は言語や文化を人間存在から切り離された空虚な概念として扱うことを、荒木先生は自民族至上主義のように言語・文化を主観的に捉えることを批判され、ご自身の研究をより厳密なものにしようという先生方の学問への思いが垣間見えたように思います。

シンポジウムでの議論は、「翻訳」という分野にとどまらず、「日常を生きるうえで、異質なものにどう向き合うか」という根源的な問題についても考えさせられる密度の濃いものでした。また、この二日間で、ともすると鈍りがちな思考力もかなり鍛えられたと思います。

最後に、この場を借りてシンポジウムに参加・協力された方々にお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。





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